05/31/13
20130531

name

20130531

“ moca ”   と名乗るようになったのは約10年程前
はじまりは大学の恩師が呼び間違えたことがきっかけ。

研究室で働き始めてしばらく経った頃
助手仲間と恩師のアトリエにおじゃまして
デザインのことアートのこと仕事のこと人生のこと
たくさんいろいろな話をして
恩師と仲間のそれぞれ4人でお互いのこれからの話をした時

「これからモカデザインが世に出ていくといいね。楽しみだな。」

と恩師が言った。
仲間の一人と目が合って二人で微笑んだ。
なんだかポロリと何かが生まれたような瞬間を感じた。

もちろん恩師は本名を知っていてたまたま咬んだようなもので
ご本人はそれすら気付かずに、どんどん話は進んでいった。
とても楽しいアトリエ訪問だった。

帰り道、さっき微笑み合った瞬間を思い返すように仲間が
「モカデザインっていいね」としみじみ言った。
「うん。なんかあの瞬間何か生まれた気がした。
私今日からmocaの名前でモノづくりすることにするよ」
と話しながら地下鉄の駅まで歩いた。

 

恩師からもらったmocaの名前に自分なりの意味を付けようと思い
自身のモノづくりのコンセプトや世界観などをもう一度見つめて
それぞれに単語を結びつけてみた。

******************

   modern —— 現代的なもの

   Original —— 独創的なもの

   Classic ——— 古典的なもの

   allurement — 魅了するもの

******************

後付けだけれど、これでmocaが歩き出した気がした。
不思議なことに結婚して恩師とイニシャルが全く一緒になった。
面白い偶然。
恩師が健在のうちに少しでも多く
カタチになったmoca designを見せられるといいなと思っている。

 

 

03/21/13

ロボット開発

私はその分野に特別な知識があるわけでもなく、事細かに調べているわけでもないけれど
平凡な国民のひとりとして思ったことをここに書き留めたいと思います。

*****

先日深夜にロボット開発の番組が放映されていました。
東電からの依頼でHondaはASIMOの技術を活かしてアーム型ロボットを開発中。
人が立ち入れない過酷な災害現場で作業をこなすための災害用ロボットの開発。
そして「大事なのは人間の環境に適応したロボットを作ること。ロボットに人間の道具を使わせ操作できること。その結果ヒューマノイドに行き着いた」という、すでに戦争の現場で実用も果たしているロボット開発のアメリカ国防総省DARPAのヒューマノイドについて。
さらには日本国内で工場や生産ラインの現場で実際に導入されている産業用ロボットのこと。

 

米国防総省主催の大規模災害に対応できるロボット開発を競うプロジェクト「ロボティクスチャレンジ」にHondaは不参加と告げた。
大規模災害に対応という目的であっても、もともと軍事ロボットに軸を置いているのであり、開発技術が将来的に軍事利用されるのでは?という心配のあったHondaは「戦争に技術を提供しない」という意思を貫いたと言え、スピリットを感じた。

「護る」ことは「戦う」ことの延長線上にもあると言える
逆に、戦うことの先に護るが存在している場合もあると思う。
背中合わせというよりか、どうしても同じ線のうえに在るもののような気がする。

だからこそ、人と共存することを目的にスタートしたHondaのロボット開発では
目指す方向を見極めたうえで、開発の目的とする境界線を自分たちで線引きしなくてはいけないのだろう。
目の前の原発事故現場で活躍できるロボットの開発に専念するとした姿勢を応援したいと思った。
そして軍事予算での開発を認められないが故に、東大の博士や研究者たちが退職してまでも「ロボティクスチャレンジ」に参加し、災害用ロボットを開発していることも応援したい。
それと同時に原発事故問題を抱えている東電側も、専門機関や人に開発の注文のみを出すのではなく、
自身の問題として開発への努力と協力を国民へ見える形であらわしていってほしいとも思った。

 

国内のとある工場で産業用ロボットを導入した会社では、ベテランの社員がこなしていた作業をいともかんたんにロボットが習得し作業する。社員はロボット達には負けてられないですね、と話していた。
単純作業にロボットを導入することは良いような気もするが、休憩も昇給もいらないロボット…
確かに効率は上がるだろうけど、それで儲かるのは資本家と一部の人だけにならないのだろうか…
ただでさえ仕事の少ない世の中になっているのに、この先大丈夫なのだろうか?と心配にもなった。

 

私はASIMOに関しては2000年頃から、人のように歩けるようになった、挨拶が返せるようになった、踊れるようになった、などほのぼのした進化の話をニュースなどメディアで知る程度で、正直「それが出来るようになって、これから本当に人の幸せに貢献できるの?」と思ったりしていた。
だったらもっと介護の現場で大変な人の移動や力仕事に特化したものなど、目的のはっきりしたロボットをどんどん作ったほうが良いのでは?と素人として思っていた。
でも、原発事故も起きてしてしまった東日本大震災を機にヒューマノイドの必要性も少しだけ理解できた。
ただ、やっぱり人型ではないほうがよい現場、個別の能力に特化したロボットが必要な場合もたくさんある。
例えば株式会社 知能システムが販売しているアザラシ型ロボット「PARO(パロ)」なんかは、セラピー効果があるロボットとして特に北欧ではかなりの現場で導入されているという。「産業用ロボット」だけではなくPAROのような『メンタルコミットロボット』の必要性も大きいのではないだろうか。
もっともっといろんな分野のロボット開発に国が支援をしていかなくてはいけないはず。
「日本は厚生労働省が定める法的基準が厳しく医療機器としての認定には時間がかかるうえに、製品ができると研究支援を止めてしまう」と聞いたことがある。世の中のあらゆる製品だってお客様の声に基づいて、改品改良が加えられるのに、現場での活用や症例をもとに改良・開発をさらにしていかなくてはいけないロボットに支援がされないのでは意味がないのではないだろうか。

 

本当は国民の一人として、開発の様子や現状、国がどんな補助金を出しているのか、など自発的にそういったことを調べて知る努力をするべきなのはわかっている。
興味がないから知らない、知らなくていい、知っていなくても困らない…ではやっぱり駄目。
これから少しずつでも自身で勉強していきたいと思う。
できればメディアにも頑張ってもらいたい。
視聴者が興味の無い分野だから取り上げないのではなく、興味のない人たちが関心を寄せるような内容にし、
分かりやすく説明や解説する番組や紙面作りをして欲しい。と番組を通して思った。

 

02/26/13
伸びゆく姿 優しい心の花言葉

春に

春は出会いの季節でもあり旅立ちの季節

大学で働いていた時に毎年思ったこと
「見送られるより 見送る方が寂しくてつらい」

 

もちろん楽しかった場所を後にしていく学生も
昔そうやって卒業を経験した自分自身も
巣立っていくことが寂しくてつらいのは確か

 

教育の現場というか、教える・教えられるという現場は
よくも悪くも大雑把にいうと、同じことの繰り返し
のように思う。とても乱暴な言い方だけれど。
新しい学生(生徒)さんが入学→教える→卒業・見送る の繰り返し
もちろん個々の学生は違うし、学年の雰囲気というかカラーも違う
授業の内容も見直し時代に合わせて変化し進化もする。
そんななか一人一人と向き合って、かける言葉も教え方もいろんなことが違う。
繰り返しだから寂しくも悲しくもないか、といったらそうじゃない。

 

たくさん向き合ってきたぶん
見送るってことがなんとなく「置いていかれる」気持ちに少しなる。

 

「大人になると何度も別れを経験して平気になる」と言うこともあるけれど
私は別れが平気になるとは思えなくて
何度経験しても寂しい気持ちになる
ただおセンチな奴だからと言われるかもしれないけれど…

 

もしかすると会社や職場でもそうかもしれない。
後輩や同僚が旅立つときの寂しさもまた。

少し意味は違ってくるけれど
子どもをもつ親御さんが、卒園に涙するのも
一人暮らしをする子どもを送り出す親御さんが涙するのも
娘の結婚に涙するのも
「離れてゆく寂しさ」=「置いていかれる」って気持ちが少しあるのだと思う。

 

どんな時も見送るときの寂しさは毎回同じじゃなくて
見送る相手と共に過ごしてきた時間や関わってきたことが全部違うから
寂しさはいつも別々。
いつも寂しい。

 

旅立ちの先を思い緊張した顔も
離れてゆくことに寂しく悲しむ顔も
毎年訪れる春に見る様々な顔はみんな良い顔している気がする。

だからみんなが我慢せずに
素直に寂しさに涙したらいいんじゃないかな
恥ずかしがらずに。

 

桜とともに見送ったあとには毎年コデマリが咲く…

伸びゆく姿 優しい心の花言葉

伸びゆく姿 優しい心の花言葉

 

02/21/13
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color

モノをつくったり、描いたり、デザインするようになってから
「色」について、いいねと言っていただく機会がままある。
とても嬉しい。

依頼を受けてのお仕事ならば
クライアントの希望にそったうえで
プラス この方が、可愛い かっこいい 大人っぽい レトロ 落ち着いた 元気な…etc
あぁ素敵だなと思って貰えるようなエッセンスを加える。
その『プラス』の部分に色々と作り手の様々な感覚の違いがでるのかな?

 

色彩について聞くところによると

「人間は生まれてから48ヶ月くらいまでに
大人と同程度の色彩能力が備わると、生理学的にいわれている」

なんだそうです。

そう考えるとおおよそ4歳までに身の回りで体験し培われるものとなる。
身につける物や家のなかのインテリアなど
幼少期に目に入るものがその感覚を養っていくのだと思うと
なかなかこれは重要なことなのでは…と思ったり。

 

振り返ってみれば、私の幼少時代から独り立ちする時までさらには現在も
家の中には「色」が溢れていた。
愛らしい花柄だったり、シックな和柄だったり、モダンなパターンだったり…
いろいろな模様と色がいつも側にあった。
でも色に酔うとか目がチカチカするとか嫌な印象はひとつもない。
それが和裁の先生をしていた祖母と洋裁や美術の好きな母のつくってくれた環境。

その色彩体験が今の私をつくっているのだと今思う。
とっても感謝。ありがとう。

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年齢を重ねて自分に「似合う色」というのは少し変化したけれど
「好きな色」というのはほぼ変わっていない。
その色がまた母も同じだったりするので遺伝なのかな?と思いながら
少し嬉しかったりする。

 

 

01/31/13
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ハレとケと睦月

儀礼や祭は年間行事など、
折り目・節目の特別で非日常的な機会が「ハレ」
日常を「ケ」と呼ぶ日本。

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ハレの日には何かと目標や誓いをいろいろ立てたくなる。
食べ物も希望も欲張ってしまいがち。
正月というハレの後の睦月は長く感じる。
力尽きそうな月末。

ハレの語源は「晴れ」という。
昔に比べて、自らの意識で非日常を取り入れられる現代。
だからハレとケの区別は本来の意味からしたら
今はあまり無いのかもしれない。
だとしたら、晴れた日に感謝をするくらい
あまり欲張らずケのなかでハレを見つけるように
気持ちを少し変えてハレの日疲れをしないように心がけたい。

ちなみにお餅も白米もハレの日の食べ物。
だから普段から食べ過ぎちゃダメなのね…。

 

01/24/13

今日のなにか:kyouno1e

やりたいと思いつつも、ためこんでしまった時間に遠い目をして
昨年からtwitterでぽつぽつ描いていた「今日のなにか」を
やっと重い腰をあげて、ここにまとめてみた。

kyouno1eとは「今日の 一 絵」ということ。

その日に思ったり感じたり思いついたりしたことを
何かしらカタチにした「何か」。

365日続けることは本当に大変で難しい。
怠け者の私なりに続けられる範囲で描いている。

それ自体が完成系ではなくて
記憶のスケッチのようなもので
いつかもっと具体的なモノに起こしていくときのための
私の引き出し

そんなつもりでこれからもぽつぽつ続けていこう。

 

01/4/13

Happy new year 2013

2013年スタートしました。
あけましておめでとうございます。

2012年はちょっとだけチャレンジできたり
人との繋がりが新しくできたり
思いがけず形になるものがあったり…
と、これまでとはほんのちょっと違った前進があった年のように思います。

2013年は昨年ちょっとだけ進めたコマをもう少し進めるために
「繋がりを育てる」そんな年にしたいと思っています。

そのためには
平和で健康で笑顔に包まれた日々を送ることが必要だなと感じています。
みなさんと一緒にそんな日々の中でゆっくりと
モノづくりも色んな気持ちも育てられるようにと願い
今年もよろしくお願いいたします。

11/27/12
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月光

 

一日と同じ顔のない月

光もまた

さまざまな光

 

 

10/30/12

カタチにするわけ

私は学生時代デザインのコースでシルクスクリーンに出会い
恩師の影響もあり、とにかく実験することが楽しい毎日だった。
インクの色の組み合わせやメディウム(半透明)を混ぜた透け具合や重ね合わせ
1つの版からでも無限に作れる楽しみ。
デザインにおける実験好きはそこから始まったのかもしれない。
就職してしばらくプライベートではあまり描くことをしなかったけれど
それでもほんの少しスケッチだけ残していた。
そして何となく2004年頃からカタチにしていくことを始め
あるきっかけからmocaとしての活動を決めた。

その頃コンセプトにかかげた言葉は
モノづくりをするにあたって、自身がこうありたいと思う気持ちと
カタチになったものを手にしてくださった方への想いや繋がりを綴ったもの。
それが今でも私がカタチにしモノづくりを続ける力になっていると思う。

 

moca[concept]
*****

様々なカタチと線たちが、偶然にして心地よい必然性を
おびて行くような世界観をコンセプトにデザイン。
実験と発見の中で「現代的なもの」・「独創的なもの」・「古典的なもの」
そして「魅了するもの」がとけあった時、mocaのデザインは生まれてきます。
mocaとみなさんが出会った時や、mocaデザインを手にした人が新しく手を加えた時も
全てが『偶然にして心地よい必然性をおびている』と私は考え
ひとつひとつの関係を大切にしながら描いています。

*****

たくさんの方々に感謝して
これからも素敵なみなさんとモノづくりを通して繋がっていきたいと
近頃また、つよく思っています。