03/19/14
メメント・モリDM

下條ユリ「メメント・モリ」へ

下條ユリさんの展示「Memento Mori(メメント・モリ)」を見に浅草へ。

メメント・モリDM

メメント・モリDM

会場となっているギャラリー・エフ 浅草
1998年に文化庁登録有形文化財に登録された、
江戸時代末に浅草雷門に建てられた土蔵を再生したアートスペース。
絵画のみならず音楽、伝統芸能、パフォーマンスなど
国内外のアーティストが展覧会などを開催しています。
カフェ・バーも隣接された様々な姿を持つ場所です。

「メメント・モリ」(古代ラテン語の警句):死を思うこと、生を思うこと。

東日本大震災が起き、復興ままならない瓦礫から桜が咲いた。
終わりと再生をくりかえす自然の摂理に力を貰った下條さんは
桜の花びらをただただ描きはじめ、メメント・モリが生まれてきたそうです。

 

—見る側がどう感じるか自由—
と記してくださった下條さんのお言葉に甘えて
自分の気持ちと素直に向き合って拝見させてもらいました。

 

『いのち』とは日々私たちと一緒にあるものだけれど
一緒過ぎて、さらに自身の一部過ぎて
逆に命を「感じる・考える」というのはある意味遠いことのように思います。

「あちら側」と「こちら側」を見つけることは不可能だろうし
これがそうだ、という明確な答えもない。

エフの蔵に凛として置かれた作品を見て思ったのは
[生まれてきた命/消えてゆく命]があちら側とこちら側の関係だとするならば
[生まれる前の命/生まれてきた命]もまた、あちら側とこちら側だと感じたのです。
なぜだか、あの蔵のなかでは自分の力で立っている・座っているという感覚がしませんでした。
ちょっと浮いているような、浸かっているような…
それでいて包まれているような空気で、なんだか胎内にいるような感覚でした。
まるで生まれる前の胎内で、じっと『いのち』を抱いて考えているような。。。
うまく言葉にできない、体と心の奥に広がる熱と空気がありました。

あまりにも身近でそして遠い『いのち』
その存在をあらためて自身のなかでじんわり想い向き合うには
下條さんの絵とギャラリー・エフの『生き続ける蔵』がぴったりの場所なんだと思います。

そして、「チーム銀次」として福島に残されている犬・猫などの動物に
ご飯を届ける活動を続けていらっしゃるギャラリー・エフ浅草さんに
敬意を表したいと思います。

 

会場:ギャラリー・エフ 浅草
住所:東京都台東区雷門 2-19-18
http://www.gallery-ef.com/

下條ユリ「メメント・モリ」
2014年3月12日(水)~4月6日(日)

 

 

03/6/14
egg shell -博愛について-

西塚em 個展 「egg shell -博愛について-」

西塚emさんの個展「egg shell -博愛について-」を見に3/2の最終日
アートコンプレックスセンターまで行ってきました!

egg shell -博愛について-

egg shell -博愛について-

博愛とは、すべてを受け入れ慈しむこと
博愛とは、何ものも愛さないこと
この矛盾した自虐的退廃的思想は異常であっても
わたしたちを決して傷つけない

この殻の中だけは
わたしたちの桃源郷であるために

[Artcomplex公式紹介より]

*****

西塚emさんは京都在中のボタニカルアーティストで
「ソフトアングラ」をコンセプトに花や虫をモチーフに
共生と寄生から成り立つ空想上の博愛空間を透明水彩で描かれています。

プリントや画像では飛んでしまいがちな血管や
微妙な色合いも原画ではしっかりと見ることができました。

人物と生物の透明感や温度
万人が得意とはいえない虫さえも愛らしく見える画は
emさんにしか出せない世界なんだと思います。
虫以外にもキノコを組合わせていたりモチーフのチョイスも素敵です。
とにかく線の美しさと繊細な色合いは吸い込まれそうになります。
この感覚は原画ならではのトリップ感だろうな。

 

★東京での展示は終了しましたが3/12より大阪での展示が始まるそうです↓

egg shell -記憶の中の母性-

egg shell -記憶の中の母性-

西塚em個展「egg shell -記憶の中の母性-」

イロリムラ
〒530-0016 大阪市北区中崎1丁目4番15号
TEL:06-6376-0593 (電話受付 10:00~18:00)
FAX:06-6371-1658
HP:http://www7.ocn.ne.jp/~irori-05/

 

03/3/14
春じゅんび展

にしおゆき出版記念+春じゅんび展 ポポタム!

『にしおゆき陶人形作品集「道草なひと」出版記念+倉敷意匠のお仲間6人の春じゅんび展』
へ目白ポポタムさんへ行ってきました。

春じゅんび展

春じゅんび展

にしおゆきさんの出版記念にお仲間が集まり
6人の作家さんがそれぞれゲスト作家を誘って総勢15人の賑やかな展示でした。
最終日だったので豆チビ人形はほんのわずかしか残っていませんでしたが
安定の愛らしさを振りまいていました。
人の形も表情も動物が加わった時の何ともいえない絶妙なバランスは
もう、にしおゆきさんしか作れない表情だなぁ〜とニマニマしてしまいます。

昨年清澄白河のBaharさんでも拝見したLAVVO(結城伸子)さんの王冠の針山は
やはり何度見ても美しい。
「春じゅんび展」らしく淡い色合いが可愛らしかったです。

幸運にも作家のユカワアツコさんとギャラリーで直接お話できました。
ユカワさんの描く鳥は「見よ!これが鳥だぞ!」という主張ではなく
「鳥ってこんなに素敵な生き物なんですよ」と
耳元で語りかけられるような空気をまとった作品だと思います。
けれど、綿密に計算され精巧に仕上げられている
飛び出すカード「トビダストリー」ではすぐそこに飛んでいるような勢いもあります。
すっかり魅了されて私も「アオバズク」を連れてかえりました。

トビダストリーおもて

トビダストリーおもて

とびだすアオバズク

とびだすアオバズク

にしおさんの作品集「道草なひと」
ユカワさんの「トビダストリー」
LAVVO結城さんの「王冠の針山」
などなどは倉敷意匠WEB SHOPでも購入できるそうです→

 

01/3/14
きのこ薬師

きのこ薬師へ行ってきた

篠目八幡「きのこ薬師」へ行ってきました。
平成24年に改装されたらしく、全体が奇麗に整えられ昔とは少し違う様子に。

篠目八幡入口の鳥居

篠目八幡入口の鳥居

鳥居を抜け正面には本堂、その右隣にはお稲荷さん
さらに右奥へ進むと「きのこ薬師」のお堂があります。

きのこ薬師

きのこ薬師

「きのこ薬師」とは
昔、漢方でも治らぬ目の患いをこのお薬師さんに願をかけ
二十一日間一心にお祈りしたら完治したという。
ある日、 お薬師さんのお像が盗まれてしまった。
以後抜いても抜いても同じ場所に「きのこ」が生え、
人々は「お薬師さんのお身代わりに違いない」と信じて
『きのこ薬 師』として祀ることにしたという。

『きのこ薬師の由来について』

きのこ薬師の由来

きのこ薬師の由来

きのこ薬師のなか

きのこ薬師のなか

あいにくこの日は開いておらず、直接お参りすることかなわず。。。
開放される日がきっと決まっているのだと思うのですが
掲示などなかったので、次はいつなのかわかりませんでした。残念。

そして、きのこ薬師の隣に生えていた木にびっくり!

きのこ薬師の木

きのこ薬師の木

まるでシロタマゴテングタケの根元のツボのようにコブがある。
これも「きのこ薬師」のお隣だからなのかな???

聞けば昔子どもの頃、母が祖父に連れられて
何度か篠目八幡にはお参りに来ていた記憶があるとか。
ぜひ今度は御開帳に合わせてお参りしたい。

 

 

01/1/14

Happy new year 2014

happy new year 2014

happy new year 2014

 

あけましておめでとうございます。
2014年がみなさまにとって健康で素敵な一年になりますように!

 

2013年は新しいことに少しチャレンジしたおかげで
新たな繋がりができ
少しだけ世界も広がったように思います。
悲しいことも辛いことも全部含めての経験だと思えた年でした。

今年はさらに前に進めるよう
亀の歩みを止めずに
ゆるゆると
時に全力で
進みたいと思います。

2014年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

 

11/11/13

あいうえおとお絵描きと

先日参加した、なまけっとで実行委員の方がtwitter上で質問していた
なまけっと・製作のきっかけ』のまとめを見ていたら
どんどん子どものころの記憶に入っていってしまったので、書き留めておこう。

*****

私は「あいうえお」ひらがな五十音は、車のナンバープレートで覚えた。
母は車の免許を持っていなかったので、スーパーへの買い出しも
長女である二歳上の姉を幼稚園へお迎えに行くにも、いつも自転車だった。
母の後ろ、三歳の私は自転車の後部座席で看板や自動車、文字のあるものをいつも目で追っていた。

自転車を後ろから追い越していく車のナンバープレートを見ては
「今のは “ま” ?」「あれは “ほ” だよ」
「お母さん “み” だったね」「すごいね。あたり!」
などと時にはクイズのように楽しみながら道中を過ごしていた。
そんな毎日を過ごしているうちに、知らない間にひらがなを覚えていた。
だから、本で勉強したり、ひらがな用の知的玩具のようなものを使った覚えもない。
身の回りにあるもので楽しむ、母がもたらしてくれたコミニュケーションだけで
特別な物はなにもなくて、いつもそこにある普通なものだけで十分だった。

5歳ころまで住んでいた家は母方の祖母の敷地内にあって
祖母の家までは20mあるかないか。
いつも遊び相手の姉は朝が始まれば幼稚園へ
三歳下に妹が生まれ、新生児の世話と家事で大忙しの母はずっとは遊びにつき合ってくれない。
姉が幼稚園へ行ったあとの朝9時にはもう退屈になってしまう私は
毎日毎日敷地内の祖母の家へ遊びに行っていた。
今時のおばあちゃんとは違う、祖母は大正生まれの昔ながらのおばあちゃんだった。
だから今の私の実家=甥・姪からしたら祖母の家、のように
アンパンマンやにこにこぷんの子供向け玩具なんて、おばあちゃんの家には一切なかった。
でも、おばあちゃんの家でたくさん遊んだ記憶がある。

「おばあちゃん!おはよう~」とトコトコ入っていけば
「よう来たなぁ~」とニコニコ迎えてくれる。
そしてすぐに「今日はこれだけしか良いの無かったわぁ。」といいながら
鉛筆と裏が白紙の折り込みチラシを出してくれる。
おばあちゃんは朝新聞を読んだら、折り込み広告をチェックして
私のために、鉛筆で書き易い紙質の裏が白紙のチラシをお絵描き用に分けておいてくれた。
何を描いても「上手だねぇ」とおばあちゃんが褒めてくれるので
いい気になって毎日私はたくさんお絵描きばかりした。
気に入った絵はおばあちゃんは壁に飾ってくれたり
大切に引き出しにしまってくれていた。
お絵描き帳やスケッチブックも持っていたけど
なにより、普通のチラシの裏のが子どもながらにしっくりきたし楽しかった。

買ってもらったオモチャはもちろん嬉しかったし楽しかった。
でもそれより何より
「上手だね」「すごいね」「素敵だね」「ありがとう」と
母や祖母が笑顔になって喜んでくれたり、褒めてくれる
なんてことのない普通のお遊びであるお絵描きが一番楽しかった。

法事で祖母の宅に親戚が集まっている時
歳の離れた従兄弟はみんな既に大人で遊ぶことも無い。
私たち三姉妹だけが小さい子どもで会食になっても暇な時間。
すると同じ敷地内に住む犬猫のトリマー・ブリーダーの伯母さんが
「子どもにも慣れた懐っこい子にしてあげたいからね。遊んであげて。」と
いつも子犬や子猫を連れてきてくれた。
生まれた時に既に我が家に居た秋田犬はとっても優しくて大好きだった。
自分の胸に抱きかかえられるほどの小さな子犬たちは、また違った可愛さがあった。
小さな頃からいつの間にか生き物好きに自然となっていた。

誰かを笑顔にしたいとか
喜んでもらいたいとか
楽しみを共有したいとか
モノづくりをする気持ちの動機はたくさんあって限定できるものではない。
けど、作り始めたキッカケは、物心もついていない時期に
特に母と祖母が「普通を楽しめる環境」を作ってくれて、
それを私は心の底から楽しんでいたことかもしれない。

姿カタチの無い心はもちろんのこと
生き物の可愛らしさや素晴らしさもまた
言葉では表現できないものがあると思う。
それを形にすることによって
「そうそう!素敵だよね!」と共有できたり
「こんな風に見ると意外にもカワイイんですよ」と伝えられたり
カタチにすることによって見えてくる素敵な世界を
自分だけでなく他の人と分かち合ってみたいっていうのが
今の私の“つくる”気持ちかもしれない。

きっとたくさんの作り手さんと同じ気持ちのように。

 

 

02/21/13
20130221_001

color

モノをつくったり、描いたり、デザインするようになってから
「色」について、いいねと言っていただく機会がままある。
とても嬉しい。

依頼を受けてのお仕事ならば
クライアントの希望にそったうえで
プラス この方が、可愛い かっこいい 大人っぽい レトロ 落ち着いた 元気な…etc
あぁ素敵だなと思って貰えるようなエッセンスを加える。
その『プラス』の部分に色々と作り手の様々な感覚の違いがでるのかな?

 

色彩について聞くところによると

「人間は生まれてから48ヶ月くらいまでに
大人と同程度の色彩能力が備わると、生理学的にいわれている」

なんだそうです。

そう考えるとおおよそ4歳までに身の回りで体験し培われるものとなる。
身につける物や家のなかのインテリアなど
幼少期に目に入るものがその感覚を養っていくのだと思うと
なかなかこれは重要なことなのでは…と思ったり。

 

振り返ってみれば、私の幼少時代から独り立ちする時までさらには現在も
家の中には「色」が溢れていた。
愛らしい花柄だったり、シックな和柄だったり、モダンなパターンだったり…
いろいろな模様と色がいつも側にあった。
でも色に酔うとか目がチカチカするとか嫌な印象はひとつもない。
それが和裁の先生をしていた祖母と洋裁や美術の好きな母のつくってくれた環境。

その色彩体験が今の私をつくっているのだと今思う。
とっても感謝。ありがとう。

20130221_001

年齢を重ねて自分に「似合う色」というのは少し変化したけれど
「好きな色」というのはほぼ変わっていない。
その色がまた母も同じだったりするので遺伝なのかな?と思いながら
少し嬉しかったりする。

 

 

01/13/13
20130113_003

水上バス

浅草寺に初詣へ行った足で水上バスを。
浅草〜日の出桟橋のコースを夕方に乗りました。

隅田川は春には桜並木を
夏には花火を堪能することが出来ます。
華はないけれど、空気の澄んだ冬に空の色を楽しむの素敵だなと。

夕方の淡いグラデーションが夜の深い色に飲み込まれていく
そんな一日の終わりを味わうのも大人の楽しみのように思います。

金の雲とスカイツリー

金の雲とスカイツリー

日本橋

日本橋

遠くにタワー

遠くにタワー

視線の先に東京タワー

視線の先に東京タワー

 

あ、ちなみにおみくじは半吉でした。
頑張り続けろってことのようです。

 

07/20/12

つくるきもち

社会人になりデザインをはじめとするモノ作りをするようになり
何かを作る時に思うのは、やっぱり「相手」のこと。

仕事ではそれが当たり前なのだけど
何かプライベートで作る時も年々
「相手」のことを考えたり思ったりすることが多くなっているように感じる。
それは良い意味で。

以前仕事で関わらせていただいたディレクターが
サプライズである物を作った私のことを
「もらった人の笑顔を彼女は想像できる人なのだ」と言ってくれたことがある。
とてもうれしい言葉。

そう、いつも渡す人、貰ってくれる人の「喜ぶ顔」を思い浮かべて
手を動かしているつもり…

 

デザイナーになって2年目の時だろうか
目の前の仕事に食らいつきながら必死になり過ぎていた時
なんだか気持ちが空まわる感覚があった。

それは作ることや提案することの気持ちの所在が
ちょっとずつズレてしまっていたからだと暫くして気付いた。

「喜んで欲しい」がちょっとずつ「感謝して欲しい」に
変わってしまっていたのではないのかな?と。

感謝して欲しいと思うと、人間とは単純で愚かだから
「こんなにしてあげたのに感謝の気持ちも無いなんて」って腹が立ってしまう。
そんなのはくだらないことだ。
自分の気持ちのあり方次第で受け止め方なんて変わるもの。

後輩達にいつも話していたのが
“感謝されたい、感謝して欲しいと思って作っていると
報われなくていたたまれず辛くなる。
だから「喜んでもらえたらいいな」
くらいの気持ちで作っていたら続けられると思う”

そうやって伝えてきた。
だから今も私は自分にそう言い聞かせて
これからもずっと、つくるきもちをそんなふうに持っていたい。

3歳の誕生日に姪へプレゼントしたヘアゴム

女子っぽいに目覚めた彼女も大喜びしてくれたらしい。
作ってよかったな。